NETFLIX「DAREDEVIL season1」評価・個人的ストーリー解釈、感想・コメント

デアデビルとは?

 2015年に日本でも視聴が可能となった映像ストリーミング配信サービス"NETFLIX"において、当時から目玉作品の一つとされていたNETFLIX限定のドラマシリーズです。
 原作は二大アメリカン・コミックス会社の一つであるマーベル・コミックのコミックです。
 初登場時はデアデビルを知ってる方々の多くが思い描く深紅のコスチューム(上の画像)とは異なり、黄色がメインのコスチュームを着ていました。

 デアデビルの本名はマット・マードックと言い、幼い頃に交通事故によって放射性廃棄物を両目に浴びて失明してしまいます。
 失明した影響により超人的な聴覚・嗅覚・触覚・味覚を手に入れます。
 その後は勉強に勤しみ弁護士資格を取得し、昼間は弁護士として働いています。
 父は二流のプロボクサーであり、八百長試合に応じたもののそれに反して勝負に勝利しギャングによって見せしめとして殺されてしまいます。

 デアデビルは2003年に実写映画化、2015年にNETFLIXによって限定ドラマシリーズとして再び実写化されています。
 今回はNETFLIX限定ドラマシリーズ「デアデビル」について感想や評価を書いていきたいと思います。


評価

【個人的評価(0〜5) : 3.9】

 物語序盤ではMCU(MARVEL CINEMATIC UNIVERSE)作品に多く見られる激しいアクションや壮大なスケールで進むストーリー展開は行われていないが、それこそがヴィジランテ(自警)ヒーローとしての庶民との距離の近さ、ヒーローとはいえど人であるということを無意識に多く感じ取らせてくれていました。

 それに加え登場人物全員がなんらかの問題を抱えていることや、マットの職業である弁護士としての仕事を細かく描いていることにより、ヒーロー作品としての緊迫感と並行して証拠や証人を揃えていく過程もストーリーとして楽しめました。

 そして何よりも思うのは「本当にヒーローか…?」ということです。
 序盤はひたすら常人vs常人の殴り合いを見せられているだけのアクションシーンが続く印象です。
 ほかのMARVEL作品のように痛快アクション、ダイナミックな映像などは限りなく少ないです。

 迫力のあるアクションを求めている方はこの作品を見た後には少し物足りなさを感じるかもしれません。


個人的ストーリー解釈・感想

(ネタバレ注意)


 第1話ではこの記事でも上記しているように マット・マードック が視力を失った背景やマットの父が死んだ理由などを描いています。
 直球で描くと言うよりはマットが過去を回想する形であったり、我々視聴者にストーリーや過去を予想させるように少しづつわかっていく'謎解き'要素を多く含んだ形でストーリーは進行していきました。

 ストーリー序盤、マットは"デアデビル"という名では呼ばれず"覆面の男""ヘルズキッチンの悪魔"などと呼ばれています。
 基本的によくわからない布のマスクにTシャツ、パンツなど全くもって ヒーロー感 を感じさせない身なりをしています。

 序盤から終盤にかけて全般的に クレア という看護師がマットのそばに寄り添いサポートを行っていました。
 彼女は正体を隠して行動しているために病院に行く事が出来ないマットの治療を行っています。
 ストーリー序盤でマットをクレアが助けることでクレアと出会い、彼女自身がマットを支える上で彼に芽生えていく恋心やお互いの感情の揺れ動きなども非常に興味深いものでした。

 恋愛という観点ではマットの大学からの親友で相棒的存在である フォギー やドラマ序盤で起訴されている所をマットらが弁護し、無罪を勝ち取った女性 カレン などの感情の行く末もとても楽しく観ることが出来ました。
 序盤ではフォギーとカレンが上手くいくような描写が多く見受けられるものの、ストーリー終盤ではフォギーは元恋人で大手弁護士事務所の社員であるマーシとの距離が急接近していきました。

 ノブ というヤクザとマットが対戦する際にノブはチェーンの先端に刃物が着いた武器を使用しており、特に目立った回避や装備がないマットは瀕死の状態で自分の家にたどり着きます。
 その際にちょうどマットの家を尋ねていたフォギーは彼が"ヘルズキッチンの悪魔"であることを知り、マットが盲目であることへの不信感や法律以外の手法で相手を裁くマットのやり方に疑問を抱きます。
 ストーリーはここで大きく反転し、それまでフォギーとマットは一心同体の関係として動いていたものの、一時はマットとフォギーの"ネルソン&マードック 弁護士事務所"が解散に追い込まれるほど関係が悪化してしまいます。
 ここからの2人の近づくにも近づけない距離感やどうしたらいいか分からないカレンの立ち位置などにヒューマンドラマ的な楽しみがありました。

 本作の敵役(ヴィラン)的立ち位置である ウィルソン・フィスク/キングピン は特に目立った力はないものの恐ろしい程の執着心やある程度の武術、我々の想像を超えた程の額の資金などを駆使し有力者を買収するなどの方法でマットらを追い込んでいきました。
 彼は目的の為ならば手段を選ばずに殺人や放火、爆発事件などを起こしていきますが、何故彼がそのようになったかというのは彼の父に問題がありました。
 フィスクの父は自分の息子であるフィスクや妻に平気で暴力を振るうような人格の持ち主であり、フィスクは父から母を守るためにトンカチで父の頭を殴り撲殺します。
 この事件を境に気弱な少年であったフィスクは悪役と呼ばれるような男になっていきます。
 作品ではフィスクが変わっていく様を回想シーンなどで織り交ぜており、フィスクに対してもマットと同じく人としての感情や葛藤を多く感じとることができます。 
 フィスクは非常に秘密主義であり、基本的に表舞台には顔はおろか名前すら公開せず、信じているのは助手である ウェスリー やアートギャラリーの従業員でフィスクの恋人である ヴァネッサ の2人だけと言っても過言ではありません。
 マットはストーリーの中でフィスクの名前を聞き出すまでにも相当な時間を要するほど手を焼いていました。
 フィスクの手下たちには彼の名前を明かしてはならないというルールがあり、マットは心拍数から嘘を見抜く力を使ってフィスクの名前を聞き出していきます。

 そして多くの方が求めるであろうヒーローたちのカッコ良いスーツへの変身シーンや戦闘シーンですが、特に変身シーンといったものは無い上に戦闘シーンはそこまでの迫力はありません。
 それに加え深紅のデアデビルのスーツをマットが着るのは最終回でフィスクと最終決戦に挑む時のみです。
 それ以外はこそ泥のような真っ黒の服を着て活動を行っているので、何度も言っていますがヒーローとしてのかっこよさは限りなく少ないです。

 マットは超人的な聴力を持ち合わせていますが戦闘面ではストーリー中盤で登場する男 スティック から幼少期に習った一般的な武術しか対戦時に使える攻撃方法が無いです。
 スティックはマットとは違い生まれながらに盲目であり、殺人を行わぬマットと異なり非人道的な手法を取る人物でした。彼は登場シーンから相手の腕や首を切り落とすなど彼の非人道的な所業が数多く見受けられ、そんな彼に対するマットの疑心や敵対心を色濃く感じることが出来ます。
 マットは稀に木の棒のようなものを使って攻撃していますが、ドラマシリーズの中で5回ほどだった印象です。
 上記したストーリー終盤で登場する彼のスーツは斬撃に強い耐性を持っています。
 武器は2本の棒のようなものであり、その2本を連結することで長い棒としての活用も可能です。
 個人的にはこのスーツや彼のフィスクとの最後の戦闘シーンは非常に熱くなるような、言葉では言い表せない魅力が沢山ありました。

 そして今回私が何よりも感心しているのは現代社会に蔓延る報道というものの力を上手く絡めているということです。
 新聞を読む人々の減少やそういった情報により民衆がどのように動くのかというものが非常にリアルに描かれています。
 カレンがフィスクの悪事を暴くために協力を求めた ベン は信念を強く持ち、間違ったことや悪事を必ず報道することに尽力しています。
 しかし彼の妻は病気を患っており、一時は報道する道を選ぶか彼女と過ごす時間を選ぶかの中で難しい選択を迫られていました。
 作品中のセリフで「最近は有名人のゴシップやなんやに耳を傾けすぎだ」というセリフがありますが、この一言は作品内の一セリフとして受け取ることができない程に我々の現状にコミットしているなと私は感じました。
 彼が徐々にフィスクを追い詰め、最後には倒してくれる時には「やっとここまで来たか…」というような感情になりました。

 戦いが長く壁を多く感じる分楽しめる作品でした。


コメント


 この記事の中でも何度も言っているように本作においてヒーローらしいかっこよさを感じることは非常に難しいというのが私の正直な感想だ。
 しかし作品を1話1話見ていくうちに我々はマットという男にかっこよさを感じ、彼のことや彼の周辺の人々が好きになっていく現象に合うかと思う。

 ではヒーローとしてのスペックは低く、我々が憧れるような能力やスーツを持ち合わせていない彼に感じるかっこよさとは何なのか。

 それはデアデビルとしての彼のかっこよさではなくマット・マードックという男に感じるかっこよさなのだと私は思う。
 この作品においてマットに感じるかっこよさとは、彼の信念として掲げている人を殺さないというポリシーや彼の曲がらぬ正義感など、我々が変えてはならないとわかっていても妥協してしまうような所を妥協せずに人を救う彼の姿なのだと私は感じた。
 そんな彼を取り巻く環境や、彼がデアデビルだということを知ってしまった人々の葛藤などを細かく描いていることで我々は深く感情移入し、視聴者としてではなくマットを見守るキャラクター的な感覚に陥るのだと思う。

 原作の公開からもう長く経過した今なお物足りなさを感じることの無いストーリーや細かいキャラクターたちの設定たちをよく活かし、実写版によくある劣化を全く感じさせない素晴らしい作品であった。
 ぜひ皆さんもご覧になる際は彼の揺れ動く心情、周辺の人々や状況の変化に着目するとこの作品がより一層楽しめると思う。

 我々の社会にも当てはまる報道の恐ろしさや人間の弱さを深く描くことこそ、我々がこの「デアデビル」を観ている際、正体不明の親近感を感じるのではないだろうか。

 近々season3が公開される「デアデビル」だがseason2以降の彼らの心情の変化やマットがヒーローとしてどのように葛藤していくのかが楽しみでならない。



2018/10/18
TeRU

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